メルマガ 007 コラム【旅】滋賀県

メルマガ 007 コラム【旅】滋賀県 

滋賀県、といえば琵琶湖のイメージですが戦国時代後期では何かとイベントの多い場所だったので歴史的観光スポットがいくつもあります。

西へぶらり旅に出かけるときは大抵小田原、静岡、愛知、岐阜を通ります。さらに大垣、関ヶ原を超え、その先にある滋賀県の米原駅(琵琶湖東部)が分岐点の1つになります。

ここから北へ向かえば長浜を通って北陸へ。西へ向かえば彦根、安土を通って京都へ。私はそのときの気分によって北へ行くか西へ行くかを決めるので米原は重要地点だったりします。ですが今回お話をするのは米原ではなく、前述の安土、彦根、長浜です。

 

1. 安土城跡 拝観料、是非もなし

安土には都合2回訪れたことがあります。 一回目は安土駅開設100周年(地味に歴史が長い!)、2回目はそれから2年後の夏の暑い時期。

 

駅を降りると目の前に見えるのは老舗のお店。観光客向けにレンタサイクリングやロッカーを提供しています。安土城跡は駅から歩いて20分ほど。

Google mapを頼りに進めば観光向けに整備された道などは無く物静かな小道が続きます。周辺住民の生活を垣間見ながら、その先にあるのは辺り一面に広がる田んぼ。

じぃんと皮膚を焼くような真夏の眩しい暑さのなかで稲穂がさわめき、カエルの声が聞こえてきます。とてもノスタルジックな気持ちになりました。

安土城跡は入り口で700円を取られます。石段しか無いのに・・・と思いつつ渋々支払って石段を登る。

頂上までは意外と標高が高くて一気に登るには中々ハードです。おまけに真夏だったので汗だくになって大変でした。信長たちも天守閣に登るときは汗だくになっていたのでしょうか。

小さなお地蔵さん。
いつ頃から居るのだろう。

頂上には天守の跡。安土山の頂上から望む景色。

「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか」

人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚いものだという意味です。いまでは信長の名言のように扱われていますが、信長が今川義元を倒した桶狭間の戦いの前に舞ったと言われている敦盛の一説です。

天界と比べれば儚い時間の間でに人間界では大きな変化があり、安土も豪華絢爛だった全盛期とは対象的に、のどかな風景が広がります。不思議と栄枯盛衰という感じはせず安心感さえありました。

イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは信長や秀吉とよく接触していたことで有名ですが、彼は著書「日本史」のなかで安土城について下記のように述べています。

中心には、彼らがテンシュ(天守)と呼ぶ一種の塔があり、私たちの塔より気品があり壮大な建築である。この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。 (Wikipedia参照)

当時のヨーロッパ人ですら褒めちぎっています。お城は庶民が気軽に行けない場所ですが、信長は安土城を庶民にも特別一般公開して、自らが入り口の横に立って百文の見物料を受け取っていたというお茶目なエピソードがあります。安土城は戦ではまったく機能しないような防御力無視のお城として知られています。天下泰平の世を象徴するために、あえてそうしたのではないかと考えられています。

ちなみに安土桃山文化村というテーマパークに安土城を模した建物があります。安土城に興味のある方はぜひ訪れてみてください!

 

2-1 彦根の幽霊城 次に彦根です。

彦根駅の西口を出ると賑やかな町並みが見えます。目の前には井伊直政の銅像、奥へ進むと古き良き時代の残り香が漂う建物が見え、彦根城へと続きます。まさに城下町であることを体現した光景です。

逆に東口を出ると道路と山しか見えない。ぽつんぽつんとホテルや家電量販店はありますが、それでも殺風景です。しかし、電車に乗って景色を眺めていたときに東口方面に不思議な建物が見えたので私は探索をすることに決めました。

Google mapにも記載がない謎の建物。まさに冒険気分です。
勘を頼りに道を進んでゆきます。

なんとなく不気味な道路の下を潜っていくと、奥に見えたのは・・・

 

見るからに怪しい建物! なんか謎の銅像がいっぱいある!

禍々しい妖怪を封印した地なんじゃないかと思うくらいに不気味さが漂っています。ひとっこ一人いません。調査を進めていると、どうやら美術館であるらしいと分かりました。

井伊家が彦根に入る前、このあたりは関ヶ原で家康に破れた石田三成が統治していました。この美術館は三成の佐和山城を模して作られたようです。

”三成に過ぎたるものは2つあり、島の左近に佐和山の城“

こんなふうに謳われたくらい当時最高水準だった佐和山城。いまは見る影もありませんが、美術館という形で佐和山の歴史を残そうとしたようです。とはいえ、人気は全然ないし、おっかない銅像が沢山あるし、ガラスにヒビが入っているし、ホールには何も展示されていないし・・・恐怖を感じさせる廃墟以外の何物でも無いというのが正直な感想です。

これより三年後
再び私はこの地を訪れました。

観光ガイドブックやネットでも全然話題にならないので知る人ぞ知る個人的オススメ隠れスポットとして再評価しようと考えたからです。そういえば、こんな道を前にも通ったなぁなんて思いながら美術館にたどり着く。 ・・・がっ、

なんと立入禁止地域になっていた!

なんか城の方から獣の鳴き声が聞こえると思ったら普通に猿が沢山いてビックリ。もはや猿の住処となったようで話題にならない理由が分かった瞬間でした。

もう三成像を見ることが出来ないのかとションボリしながら帰宅

 

2-2 彦根の彦にゃん

さみしげな雰囲気が漂う東口側とは対象的に西口側は活気に溢れています。彦根城で写真をパシャリ。ちゃんと彦にゃんも居ます。自分で言うのもなんですが良い具合に写真が撮れたと思います(笑)

現存十二天守だけあって内部も木造です。城内部の階段は傾斜が急で梯子に近いレベルです。女性はミニスカートで行かない方が良いと思います。・・・たぶん高確率で見えます。

有名な城の近くには高確率で存在する庭園ですが彦根城もご多分に漏れず玄宮園という庭園があります。作りとしては岡山の後楽園に近しい感じでしょうか。

彦根は良いところですが丸一日滞在するとなったら少々時間を持て余すかもしれません。安土やこれから紹介する長浜は彦根からそれぞれ電車で30分かからず行けるので彦根に遊びに行く際には是非ご検討ください。

 

3 長浜 太閤の町

司馬遼太郎氏の「新史 太閤記」を10回以上繰り返して読んでいる私にとって長浜は少し特別な場所です。秀吉が初めて所領を貰い城持ち大名として成り上がった場所であり、官位 ”従五位下 筑前守”を受けて木下 藤吉郎が羽柴 筑前守 秀吉へと変わった時期でもあり、秀吉が”今浜”という地名を”長浜”へと改名した所以もあります。

長浜駅を出ると目の前にあるのは秀吉と三成の銅像。 三杯の茶は有名な逸話ですが、三成が当時小姓をしていたと言われる寺が長浜にあります。私はまだ訪れたことがないので、いつか行ってみたいと思いつつ。古き良き風景を残す町並み。写真に撮り忘れましたが、このあたりは観光街になっていて、お団子やアイスなど様々なお菓子が売店形式で売られているので食べ歩きにもオススメです。

 

長浜城。
天守閣から風景を眺めていると幻想的な景色が見えました。

 

長浜城近くから見る琵琶湖は海のよう。

城の前にある公園ではネコが2匹遊んでいました。
癒やされました。

秀吉は明るく開放的でお調子者のイメージがありますが、ルイス・フロイスは秀吉のことをボロクソに言っていたり、織田信孝に辞世の句で「むくいを待てや 羽柴筑前」と詠まれたり、秀次・駒姫のことや千利休のことを考えるとダークな部分も間違いなくあるのだろうと思います。私も最初は何も知らずに秀吉を好きになり、秀吉のことを知るにつれ彼の悪行に嫌悪感がわきましたが、気がつくと良い意味でも悪い意味でも人間くさいところに惹かれるようになりました。だいたい創作物において信長や家康は作者が誰であっても似たような人物描写になるのですが秀吉は作者によって大きく描写が異なります。それだけ多面性のある人間だったということでしょうか。 秀吉が出てくる作品は映画、ドラマ、漫画、小説と様々な媒体で多岐にわたって存在するので是非とっつきやすい作品から見て、作品を見比べて、その人間感を味わってみてください。